レバノンのシーア派ヘズブラのイスラーム学者、ファドルッラー師が名誉の殺人を禁ずる指導を行った。これは昨今の状況から考えて、非常に意義のあるものだと思われる。 この欄で何度か名誉の殺人についてお知らせしたが、ヨルダン、パレスチナ、レバノン、イラク、シリアなどから、名誉の殺人のニュースが伝えられている。その頻度は最近、少し高くなってきているのではないかと懸念している。
名誉の殺人とは、家族や親族の女性が、不道徳な行為をした場合に、家族や親族が、その女性を殺害するというもので、イスラーム社会では合法であったり、非合法であるとしても、実際には裁かれない場合が多い。 しかし、この場合、どれだけそれを証明できるかということが、全く問われず、風評などが元で殺される場合もあろう。それだけに、ファドルッラー師が名誉の殺人を禁止したのは、非常に意義あることだと思われる。
名誉の殺人が増加するのは、社会的不満が高まり、その不満の捌け口が、人に対する誹謗であり、揶揄であり、陰口であろう。そして、その結果が弱者に対する暴力、殺人ということになるのであろう。 他方、イランでは殺人、強姦、略奪、放火などの犯罪を犯した者が、絞首刑になっている。これもまた最近になって、連続して処刑が行われるようになり、関心を持ってみていた。
イランの場合は、確かに重罪を犯した犯罪者に対し、処刑を行っているのであり、合法であり、非難されるべき筋合いはあるまい。公開処刑をすることによって、他の者が犯罪に走ることを未然に防ぐ、見せしめという効果を狙ったものだ。 しかし、この場合に不安があるのは、イランの体制に対する不満が高まりつつあることから、犯罪が発生しやすい社会状況になっているのではないか、ということだ。
犯罪の凶悪化は世界的傾向、と言ってしまえばお仕舞いだが、イラン政府は犯罪者を処刑すると同時に、何故凶悪な犯罪が増加ているのかも、考える必要があるのではないか。
名誉の殺人とは、家族や親族の女性が、不道徳な行為をした場合に、家族や親族が、その女性を殺害するというもので、イスラーム社会では合法であったり、非合法であるとしても、実際には裁かれない場合が多い。 しかし、この場合、どれだけそれを証明できるかということが、全く問われず、風評などが元で殺される場合もあろう。それだけに、ファドルッラー師が名誉の殺人を禁止したのは、非常に意義あることだと思われる。
名誉の殺人が増加するのは、社会的不満が高まり、その不満の捌け口が、人に対する誹謗であり、揶揄であり、陰口であろう。そして、その結果が弱者に対する暴力、殺人ということになるのであろう。 他方、イランでは殺人、強姦、略奪、放火などの犯罪を犯した者が、絞首刑になっている。これもまた最近になって、連続して処刑が行われるようになり、関心を持ってみていた。
イランの場合は、確かに重罪を犯した犯罪者に対し、処刑を行っているのであり、合法であり、非難されるべき筋合いはあるまい。公開処刑をすることによって、他の者が犯罪に走ることを未然に防ぐ、見せしめという効果を狙ったものだ。 しかし、この場合に不安があるのは、イランの体制に対する不満が高まりつつあることから、犯罪が発生しやすい社会状況になっているのではないか、ということだ。
犯罪の凶悪化は世界的傾向、と言ってしまえばお仕舞いだが、イラン政府は犯罪者を処刑すると同時に、何故凶悪な犯罪が増加ているのかも、考える必要があるのではないか。