イスラエル政府が1948年の建国以来、初めてイスラエルの学校で使用する教科書の中に、アラブ人(パレスチナ人)のナクバ(破局)について記載することを決定した。 そのこと自体は結構なことであろうが、パレスチナ人のナクバ(破局)についての記載は、イスラエル国内のアラブ人(パレスチナ人)の使用する教科書に限定している。つまり、イスラエルのユダヤ人が使用する教科書には、その記載は無いということだ。
イスラエル政府は、イスラエル国内に居住するアラブ人(パレスチナ人)に対し、イスラエル国籍を与えているが、これでは教育面における、二重基準(ダブル・スタンダード)ということになる。 このままユダヤ人向けの教科書と、アラブ人(パレスチナ人)向けの教科書の内容が、異なる状態を維持していった場合、アラブ人のユダヤ人に対する憎しみは深まり、他方、ユダヤ人のアラブ人に対するアラブ人(パレスチナ人)に対する同情心や、ユダヤ人の感情には何の変化も生まれないということになろう。
結果は、明らかな両者の対立感情の、エスカレートになるのではないか。歴史的な出来事については、お互いがお互いの立場で、同じテーマで考えるとき、そこには対話が生まれ、相互の理解が深まるということだ。 イスラエル政府の今回の決定は、一見した限りでは正しいもののように思えるのだが、将来的には逆に相互の不信と敵意をあおることになろう。もちろん、イスラエル政府が段階を追って、イスラエルのユダヤ人に対しても、同一内容の教科書を配布するのであれば問題はあるまい。
ちなみに、現段階まで使われているイスラエルのユダヤ人対象の教科書には、1948年戦争(第一次中東戦争)は「ホロコーストを生き延びた移民たちが独立を勝ち取った戦争」という表現になっているということだ。 一方は破局であり、他方は勝利の戦争、という表現では、必ずや対立を深める原因になろう。民族の敵意は、こうした安易な判断からは解決しないし、世界に対しても、イスラエル政府の措置が、正当なものであると説明することにはなるまい。
イスラエル政府は、イスラエル国内に居住するアラブ人(パレスチナ人)に対し、イスラエル国籍を与えているが、これでは教育面における、二重基準(ダブル・スタンダード)ということになる。 このままユダヤ人向けの教科書と、アラブ人(パレスチナ人)向けの教科書の内容が、異なる状態を維持していった場合、アラブ人のユダヤ人に対する憎しみは深まり、他方、ユダヤ人のアラブ人に対するアラブ人(パレスチナ人)に対する同情心や、ユダヤ人の感情には何の変化も生まれないということになろう。
結果は、明らかな両者の対立感情の、エスカレートになるのではないか。歴史的な出来事については、お互いがお互いの立場で、同じテーマで考えるとき、そこには対話が生まれ、相互の理解が深まるということだ。 イスラエル政府の今回の決定は、一見した限りでは正しいもののように思えるのだが、将来的には逆に相互の不信と敵意をあおることになろう。もちろん、イスラエル政府が段階を追って、イスラエルのユダヤ人に対しても、同一内容の教科書を配布するのであれば問題はあるまい。
ちなみに、現段階まで使われているイスラエルのユダヤ人対象の教科書には、1948年戦争(第一次中東戦争)は「ホロコーストを生き延びた移民たちが独立を勝ち取った戦争」という表現になっているということだ。 一方は破局であり、他方は勝利の戦争、という表現では、必ずや対立を深める原因になろう。民族の敵意は、こうした安易な判断からは解決しないし、世界に対しても、イスラエル政府の措置が、正当なものであると説明することにはなるまい。