トルコの選挙戦と予想

2007年7月22日

 トルコは2日後に国会議員選挙を控え、マスコミは連日特別番組を組み、街はポスターと旗でうずもれている。面白いのは、バンの車体いっぱいに党首の顔写真と党名を描いたクルマが走っていることだ。

 以外なのは、日本の選挙運動とは異なり、意味の無いことをガナリ立てるような無知な候補者も党もトルコには存在しないということだ。それぞれが集会を開いて運動しているようだ。

 今回の選挙は、大げさな言い方を許されるならば、トルコの今後20年から30年、あるいは21世紀を決定付ける選挙になりそうだ。もしトルコの与党が勝利すればエルドアン体制が続き、強力な国家の推進が行われるばかりでなく、中東全体に対する影響力も、強めていくことが予想される。  エジプトがアラブの盟主の座から転がり落ちたあとは、アラブのいずれの国もアラブをまとめ、リードすることができなくなっているのだ。

 同様に、イスラエルもまた、国民が四分五裂し、意見の対立と責任のなすりあいが続いている。 どこかの国があるいは誰かが、中東全体をリードすることができなければ、やがてはアメリカすらも手に負えない混沌情況が、中東全体に生まれることになろう。それはやがては、世界全体に負の影響を与えることになろう。

 エルドアン首相率いる与党の開発公正党を、日本のマスコミは宗教保守派と表現しているが、それは一般的な宗教の保守とは、全く異なるものであることが分かっていないようだ。  今トルコで起こっている激しい動きは、宗教というよりも、ナショナリズムが根底にある動きではないかと思えてならない。平たい言い方が許されるのであれば、ナショナリズムが父親であり、イスラム教は母親のような役割を果たしているのかもしれない。あるいはその逆かもしれない。

 だいぶ前、2003年か2004年の初めに、私は今後のイスラム世界は宗教から、宗教と民族主義の時代に移行していく、という内容の論文を書いたことがあるが、今のトルコがそうなのではないかと思える・ ある意味では、トルコがイスラム世界のトップ・ランナーなのかもしれない。その動きがどうなっていくのかがまさに今回の選挙の趨勢にかかっているのだ。