西サハラ問題もエネルギー?

2007年6月25日

 まだ私が20代の後半の頃のことだから、もう30年以上前の話だ。その頃、私はレバノンのベイルートに住んでおり、中東各地の取材をしていた。 その中のひとつが西サハラだった。当時、ポリサリオというモロッコから分離独立する解放闘争組織が誕生しており、アルジェリア政府の全面的な支援の下に、モロッコに対する抵抗闘争を展開していた。

 アルジェリアの首都のアルジェから、南部の町バッシャールまでは飛行機で移動し、そこからは軍用ジープで13時間ほど南下し、チンドーフというポリサリオの本部のある町まで移動した。 バッシャールからチンドーフまでは、ほとんどノン・ストップで走り、運転する軍人もわれわれも、フランスパンとジュースとチーズをかじりながら移動した。

 チンドーフに着いたのはすでに夜の12時を過ぎていたが、そこの顔役が羊をさばいて食わせてくれるということになり、眠さを我慢して料理をご馳走になった。最初に出てきたのは内臓についている、網のような脂肪を巻いた半生のレバーだったのにはさすがの私も驚いた。 次の日には、難民キャンプを訪問しハエの浮くヨーグルトを、洗面器のような器で回し飲みしたのを覚えている。その後は、難民キャンプの中の教育施設や病院、住居などを見せてもらった。

 一連の難民キャンプ視察が終わると、前線視察ということになり、ゲリラのジープに乗って出かけたのはいいが、運転手が道を見失いモロッコ軍のすぐそばまで近づき、機関銃の乱射の歓迎を受けた。 そのころは若かったこともあり、なんでも食べられ、なんでも体験したいと思う年頃でもあり、多少の危険は顧みなかった。そのときのポリサリオのリーダー格の若い男がアブドルアジーズといったが彼はいま、西サハラの大統領になっているという報道を目にし、時間の経過を感じたものだ。

 この西サハラの地名やポリサリオの名が、マスコミに登場するのはきわめて限定的な雑誌や、BBCのアフリカ・ニュースの欄などだけだったが、最近になって比較的頻繁に、西サハラ問題が世界のマスコミで取り上げられるようになってきている。それは国連やアメリカが問題解決のために、モロッコ政府とポリサリオとの仲介を真剣にし始めたからだ。 そして、そのアメリカや国連の本格的介入の裏には、西サハラ問題が単なる民族、部族とモロッコ政府との問題ではなく、エネルギー問題が絡んでいるのだ。モロッコの南部西サハラの地域は、海域にも陸上にも天然ガスが埋蔵されていることがわかったからだ。

 もちろん、そのことは私が若い頃からエネルギー関係の研究機関や企業、アメリカ、ヨーロッパ、モロッコ、アルジェリアなど関係各国の政府の間では、十分に知られていたことであったろう。この時期になって西サハラ問題がクローズ・アップされるようになったのは、そろそろこの地域のエネルギーを開発する時期だ、という判断が各国の間で出てきたからであろう。 エネルギー資源を持つことは、幸運であると同時に不幸をもたらすものでもあるということであり、エネルギー資源の支配権をめぐっては、人の命が虫けら同様に扱われるということでもあるようだ。