ガザ、西岸そしてデアスポラ

2007年6月17日

 前稿でも書いたが、1982年のレバノン戦争以後、アラファト議長率いるPLO(パレスチナ解放機構)の戦士たちは、レバノンを追われチュニジアやイエメンなどアラブの国々に散っていった。  そして残されたパレスチナ難民は、何の庇護も無い中で虐殺された。ひどいことに、アラファと議長はこの虐殺劇を、自分の政治に利用することを考えたのだ。その後虐殺は当然終わりを告げたが、パレスチナ難民の置かれている状況はなんら改善されていない、現在なお危険と背中合わせの生活を、余儀なくされているのだ。



 今回なぜガザでファタハとハマースの戦闘が起こったかについて、その要点を書いたが、この状況はガザだけに留まるとは思えない。すでにガザから西岸地区に逃れたファタハの戦闘員が、ハマースの活動家や要人を探し、血祭りに上げているのだ。まさにガザの復讐ということなのであろう。  現段階では、西岸地区での優位はファタハにあるが、今後はどうなるか分からない。ガザの戦闘で興奮状態にあるファタハの戦闘員が、西岸地区の住民に対し、無差別の殺戮をしたり、ギャングまがいの行動をすることが予想される。

ファタハの戦闘員に限らず、世界中どこの国の兵士も、戦闘から戻った後、相当長期間にわたって、正常な意識を取り戻せなくなるからだ。アメリカはベトナム戦争後、このことで悩み社会問題化している。 現段階で西岸地区で劣勢にあるハマースは、ガザでの勝利から、西岸地区でも攻勢に回る可能性が十分にあろう。そもそもハマースはムスリム同胞団を母体としており、西岸地区にも多数のムスリム同胞団メンバーがいるのだ。

ファタハの戦闘員の暴挙、マハムード・アッバース議長のイスラエルやアメリカに対する、より一層の依存があからさまになれば、必ず西岸地区でもファタハに対する反感が強まろう。 イスラエル政府にしてみれば、パレスチナ勢力がガザと西岸地区とに分裂し、それぞれが個々の拠点を有する形になることは、好都合なことであろう。

常識的に考えれば、ガザのハマース勢力を完全に孤立させ、資金の流入を止め、食料の援助さえも阻止する一方で、西岸地区とファタハに対しては、微笑外交を展開することがありえよう。 そのことは、ますますハマースとファタハの間の亀裂を深くし、修復不可能な状態になりうるということだ。そして、現在すでにそうなのだが、マハムード・アッバース議長の率いるファタハは、イスラエルによって完全に生殺与奪の権利を握られるということだ。

しかし、そのようなファタハの西岸地区におけるイニシャチブは、長期化しないのではないか。ファタハは1982年にレバノンを追われたように、今度は自分たちの父祖の地である、パレスチナから追われることになるのではないか。

*思い出してほしいことは、ハマースの誕生と勢力の拡大は、イスラエルの黙認の元に起こりえたという現実だ。ハマースが誕生したのは、イスラエルがアラファト議長率いるPLOが、決してパレスチナ人を代表する唯一の組織ではないということを、世界にアピールするためだった。 * そしてハマースのメンバーは、ガザや西岸で生まれ、そこで育ってきた人たちであり、彼らはこれまで気が遠くなるほどの回数、イスラエルと交渉を繰り返してきた人たちなのだ。

したがって、イスラエル側もハマース側も、第三者(ファタハ)が邪魔しなければ、現実に即した、実質的かつ生産的な交渉や議論をする、ノウハウを持っているということだ。(ムスリム同胞団の各国での活動を分析したフォーリンアフェアーズの「穏健派ムスリム同胞団との対話を試みよ」はムスリム同胞団という組織が、意外に柔軟に各国の実情に合わせて、活動していると分析している)